師弟と親子

トラックバックをはられた縁もあり、
中村文昭の師匠の
田端俊久の講演会『日本人力』
を見聞しに行きました。
日本の武士道精神からの
考えや人間愛や情熱を
持ったすばらしい人に
感じました。
とてもすばらしい人なのは
違いないのですが、
私が聞いている
中村文昭氏のCDの中の
田端さんとはちょっとイメージが
違っていました。
親子でも師弟でも人が育つ関係は
親が先生で子供が生徒という
親が子供に教育し、
子供を理想的な人間になるように
という外感的教育関係と
もう一つは、
子供から親も教育されてい
行くという考え方で、
子供の成長と共に考え
理を勉強する人間を目指し、
親子の協力と尊敬という
内感的教育関係というのが
あるような気がします。
私個人の表現なのですが
外感的教育関係だった師匠が
健康的な成長と共に
内感的教育関係の師匠になり
中村文昭氏の中で
現実の田端俊久氏とは別の
目指したい理想の師匠に
成長させているように思えました。
師弟であろうと親子であろうと
人が成長するには
人の出会いがあってできるもの。
出会いを生かし、今日も頑張ろう。


追伸
私のイメージの違いを考えてみました。
私が田端氏に期待していたことは
弟子の中村氏のCDで「目から鱗」が多く聞かれるように
命が発動する、躍動する言葉だったような気がする。
私も目から鱗を期待していた。
田端氏が癌で余命が少ないからだったのであろうか
期待するような言葉は聞かれなかった。
そこがあったからだ。
新しく感じたことは、
人は死を踏まえて、考えを深めてゆくと
やがて神ごとにたどり着くのかもしれないし、
そしてその神ごとを理解したいと思うらしいと言うこと。
またその人の理解する神ごとは
その人の世界観で現れてくるのではなかろうかと言うこと。
正しい答えは一つと思う者も、無数と思える者も
神ごとの理解度の違いから楽しくも苦しくもなるもので、
楽しさと苦しさも全て表裏一体であるように、
全てに深く考えることが慣用なのは分かってまいりました。
浅い意味で、このことは自分にとってどうなのかを優先するのではなく
深い意味で、このことは皆にとってどうなのかを優先するのが
平和に共同体を生きるには不可欠な考えだと思う。
都合のいい個人主義感覚から具合のいい共同体感覚の理解が
日本古来の神ごとも同様なものがあるように思えた。
何故、日本古来の神様のもとで、日本古来の文化思想が
特に優秀な外人から理想的に感じているかを
日本人は知らないでいるのは確かなようです。
ちなみに日本古来の神というのは800万いるとのことです。
私もこの多くの神を信じ、奉れる日本が大好きです。
近年においても、国のために死んでいった戦死者にしても靖国神社では神として奉っている。
(ただ本当の主犯格者は除くべきだと思う。)
それをアメリカに敗戦し、その深い意味を洗脳され失いかけてきた日本もある。
以上のように神ごとも好き、平和が好きな私はですが右翼も左翼も興味はありません。
単純に健康的で具合のいい生き方がしたいと思っているだけのただのアンポンタンな私です。