自分だけは見えない
ササユキさんという人の
ブログを読んで思い出しました。
ある人からは
全然怖く見えない人でも
ほかのある人からは
怖く見える人がいますが、
この私のイメージは、
ある人からは、やさしそうだねとか、
ある人からは、逆に冷たそうだね。
というのが聞こえてきます。
どちらのイメージも当たっている。というのか、
どちらも私は持ち合わせていると思います。
今はできてないが、
将来なりたい自分ははたして
どっちなんだろう・・・
というちょっとした迷う姿が、
自分以外の人達に対して、
理想の反面として映し出され、
見えるのではないでしょうか。
私が子供のころを振り返ると
大人は子供に対してこれが正解のように
悪いことしちゃダメ、喧嘩したらダメ、
勉強しなさいとか、これダメ、これしろ、
いい子になりなさい、優しい人になりなさい、
素直に言う事を聞けとか、
支持命令の言葉をよく耳にしました。
それで本当のやさしさを知ったのかと言えば
私の場合は知ることができませんでした。
本当の優しさとはなんだろうと考えると
教科書と同じように勉強して知るような
デジタル的なものではないと思います。
それから感心できないのが
いじめを撲滅や悪いことを無くそうの
ウイルス的排除をしていく教育だと、
人は本当の優しさを学ぶことを
無くす事に見えてしまいます。
人は優しさと反対のことを人生の中で
経験して消化していくことで、
ウイルスに負けない心のワクチンができて、
初めて本当のやさしさとは
なんだろうと言う「本当の優しさ」の
入り口に立つことができ、
そこでようやく優しい人へ出発ができる。
そんな気が致します。
理想の人の真逆のことを
持ち合わせている人だからこそ
人は理想の重みを大切に
実行し続けようと努力する。
理想の自分にちょっと近づいては
また何度も失敗しながら
本当の優しさへ歩き続ける・・・
人生そんな修行をしているのかもしれませんね。
一人前そうなこと言ってますが
冷たそうねが映し出されていることは
心がウイルスに負けちゃっている
私の姿なのでしょう。・・・まだまだ修行が足りない。
・・・けどまっいいかと思う今日この頃です。


