テレビによる裁判思考
良いか、悪いか。
○か、×か。
白か、黒か。
あるいは、
1つの基準を決め、
そうであるものと、そうではないもの。
…というように、2つに分ける考え方は、
物事を理解する上で、重要かつ強力な考え方です。
物事を、2つに分類することにより、
ゴチャゴチャして、わかりにくかったことでも、
とても、すっきりした感じになります。
このすっきり感は、
分類したのが、2つだからこそ、得られるものです。
たとえば、
10とか、20に、分類することを、想像してみると、
すっきり感は、かなり失われるはずです。
あるいは、
分類すること自体、面倒になるかもしれません。
そういう訳で、
2つに分けるという考え方は、
物事を理解する上で、
わかりやすくて、とても魅力的です。
しかし、
世の中には、2つには割り切れないことが、
多々あります。
なので、
この考え方だけで、
人生を乗り切ろうとするには、無理があるのです。
もしかして、
あなたが、行き詰っているのは、
この考え方のとりこになっているせいでは、
ありませか?
という上の文から
平和と引き換えのストレス社会で、
私を含めものごとの見方を
裁判思考とデジタル化させてきたのは
テレビ報道の影響に思える。
天然カラーのテレビなのに
やたら白黒きめつけでの
内容を放送する。
白黒のテレビが良く映るには
完全な白黒だけではなく
いろいろなグレーが多い。
グレーがあるお陰で
世の中も白黒テレビも良く
写るんだよ。と、ある人が
グレーという見方の
重要性を例えていた。
テレビの評論家や
コメンテーターがグレーを
持ち出して話していたら確かに
つまらない番組だろう。どんなに
グレーを言いたくても言えない立場なのが
評論家やコメンテーターなのだ。
テレビの討論番組も、
お笑い番組と同等程度に
楽しんで見れればいいが、
まじめに見聞きすればするほど、
裁判思考になってしまい、、
なんにでも裁判官のように
白黒と判断しするようになる。
良し悪しと裁判されるのが怖くて
誰も近寄れなくなる、・・・
という結末が。
自分の中にいる
裁判官の意見から
見えなくなって行き詰らぬよう、
もっと良く世間という
画像を円滑かつ明確に
見るためより多種のグレーを
受け入れる工夫をしよう。
さて今日一日、頑張ろう。


