85歳の助産婦 照田良さんの話し
28日、吉田町の助産婦「照田良 テルタ ヨシ」さんのミニ講演会を吉田女性の会で開きました。参加者は14名、ちょうど良い人数です。
吉田女性の会は、その前身は、「吉田女性会議」という会で、女性の生き方考え方、社会通念の上の女性の立場を見直して啓発していこう・・・、このような目的のもと、行政から奨めで、設立された会です。
講師の照田さんも、助産婦の仕事を通して、それらの女性蔑視の慣習の改善を訴えていこうと、女性会議のメンバーとなりました。
しかし、年齢も85歳となり、市登録の助産婦の仕事も2年前にやめられたそうです。まだまだ、お元気なのですが、当会の会員も、今期限りで脱会するというので、急いでミニ講演会を計画したわけです。
会場には、照田さんから産後指導でお世話になりましたという方が大勢いらして下さいました。ありがとうございました。講師は、町登録の助産師として、産後指導などを63年間なさってきた大ベテランです。
講師の父は、小学校の教員で、母は、助産婦だったそうです。父の奨めで、新潟市古町の助産婦学校に入学し、免許を取ったのが、昭和17年のことです。母親も、助産婦学校を出ていましたので、親子2代で、学校出の助産婦は、当時はめずらしかったとのことです。
考えてみれば、父親に、「手に資格を持っていれば、じゃまにはならん・・・」と学校へ行かせてくれて、これまで仕事が出来、今の自分がある。それで、このような、話の会も開いていただいた。親は、ありがたいもんです・・・。としみじみ語られていました。

昭和30年代、自宅出産から病院出産に切り替わり、助産婦の仕事が大幅に変わりました。実際のお産に立ち会うことはなくなりましたが、産前産後の妊婦と赤ちゃんのケアには、地域指定の助産婦として、大きな役割を果たしてきました。
妊産婦は、医者には行くまでもないが、チョット聴きたい質問など、たくさん抱えているものです。そこで、助産婦のアドバイスが以外と助けになり、気持ちが軽くなる場合があります。


照田さんのお話は、専門的なお産の話しではなく、職業女性の観点からみた、時代の移り変わり。町の保健婦制度の始まりと自分の立場など、これまでの人生を振り返って、楽しくお話しをしていただきました。
参加された方々も、後半は雑談を交えながら照田さんに質問などを投げかけ、時間もだいぶオーバーして、会を終わりました。
2件のコメントがあります



4月 4th, 2009 at 12:43 PM
ばんきん屋 英子さま、こんにちは。
先日は、助産婦さんの講演会に参加できず、申し訳ございませんでした。
今回の記事を読ませていただき、
女性の御仕事で色々なかかわりを持たれた方なのだと思いました。
先日、同友会に新入社員入社式と研修1日目に参加して
「働く」事についてや、マナーについて一緒に勉強してきました。
良い刺激を受けて、仕事に対する考え方も変わってきました。
Y田工業の社長様もいらしてました。
同友会の勉強の場は、とても良い刺激になりますね。
4月 4th, 2009 at 3:35 PM
着る春子さま、コメントありがとうございます。
照田さんは、おもしろいと言いますか、とってもハキハキしていらっしゃいました。会の後、2回私に電話を下さって、女性の会の広報の訂正箇所などをしっかり、指摘下さいました。いや〜、話も合う感じがしましたね。
さて、同友会の新入社員入社式と研修1日目に参加したのですか。すばらしいですね。フレッシュマンの気分も分かるし、雇い入れる側の気持ちも分かる・・・といった感じですかね。更に、Y田さんと一緒だったとは、恐れいりました。その話は、また、後日きかせて下さい。